『西條治療法』
    第二話
  東西両医学研究所  代表 西條護


 中国は北京へ留学をした。
 しかし、正直のところ、あまり参考になる点はなかったので、
 七ヶ月ほどで留学生活にピリオドをうち、帰国した。
 しかし、帰国後、日本語はわかっても、
 頭の中が中国語や英語などが先に出てきてしまい、
 日本語が口からすぐには出てこなかったのには、本当に困った。
 ドモリになったのではと、何度も思った。
 
 数ヶ月経過してゆくと、自然に日本語が、
 少しづつ先に出てくるようになってきた。
 それから針灸業を開始し、今年で約20年ほどになっている。
 留学をしてきたというハッタリがウワサを呼び、繁盛したが、
 しかし、それは本当の実力ではなかったのである。

 癌が再発し、私の所へ何人もの患者がやってきたが、
 誰一人として助けられなかった。
 失意にくれた亡き患者の遺族たちは丁重にご挨拶にきたが、
 私には針のむしろであった。
 そしてはるか昔の京都の名医であった、意安の言葉を実行した。
 「自信をなくしたら、治療行為は止めよ。
 患者の為に良くないからだ」と。
 治療の仕事は止めた。
 そして、転職してしまった。
 
 そして、今から八年前のある夜中12時頃、
 一眠りした頃電話が鳴った。
 「あのう、大部昔に、偏頭痛で、
 大学病院やどこへ行っても治らず、痛いほうの頭を抱えながら、
 その日の夕方には全快して助けられたOOを、先生、覚えてますか?」。
 しっかりと覚えていた。
 まぐれとしか言いようが無いほど、ひどかった状態は
 今でもしっかりと覚えていた。
 「実は、その時の妻が、今はまだ本人にも言っていないのですが、
 半年前に大腸ガンの手術をしたのですが、
 その半年後に肝臓へ転移し、
 しかも妻は元々B型肝炎の感染者なんで、
 何とか助けられる方法はないですか?
 とにかくいろんな本を読み、いろんな医療機関にも行きましたが、
 もう言われることは皆同じなんですよ。
 先生は、世界中の色々な治療方法を知っていることは、
 かねてから十分知っておりましたので、
 先生だったら、何か助けられる方法を知っているのではと思いまして。
 先生、何とかうちの妻を助けてくれませんか?」


 第三話に続く

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