『西條治療法』
    第一話
  東西両医学研究所  代表 西條護


 西條護。51歳。東北は福島県生まれ。
 大学卒業後、栃木県の養鶏場に就職したが、
 そこの現場は、
 何と世界各地から色々な外国人たちが働きにやってきては、
 また異国へ旅立つというような所。
 日本国内なのに、仕事場では、全く日本語が一切通じない所でして、
 大学まで行って英語が話せない自分が、とても悲しかった。
 二年目には、茨城県の新しい養鶏場へ移り、小さな可愛いヒヨコたちから、
 育ててゆき、彼らの親代わり、そして獣医のような仕事
 (疫病にかからぬように、様々な抗生物質や、
 一羽一羽捕まえては、筋肉注射などもした)も、
 社長より命令されて仕事をしていた。
 そこでは、自然の誰も耕さない畑があり、そこでは、雨が降る数日前に、
 色々な野菜の種を一握りの中に混ぜて、思いっきり振り回し、
 雨が降るとともに、丈夫な種だけが根を生やし、
 雑草も一切取らないので、雑草と共存共栄できる、
 逞しい丈夫な野菜だけが出来て(弱い物は、淘汰されてしまった)、
 それらを食べていたが、とても美味であった。
 本当に強い遺伝子だけをもった
 健康野菜食品という表現ができるかも知れない。
 そして、私は、ニワトリの東洋医学版の獣医になろうと決心し、
 針灸学校へ入学した。
 ところが、獣医師の免許をもっていないと、
 日本国内では家畜に針灸の治療はしてはいけないということがわかった。
 仕方なく、人間版向けの勉強をしていった。
 同時に、東洋医学の源流は、中国は仙人になるため修行団体に入り、
 体を少しづつ慣らしていって、
 やがて断食や木の実、食べれる野草、くだもの、ソバ粉のみで四年間
 ほど(円空上人と似たりよったりの木喰食)、暮らしていたことがある。
 その間、日本国内では最初に編纂された平安時代の医学書「医心方」の
 養生編から、様々な食べれる薬草、運動療法などなどを、
 仙道流に和訳したものが、約一年間ほど機関紙に掲載された。
 さらに、中国や諸外国からの医学書や健康本なども集めては、
 役に立つ内容のみ和訳したものなども掲載されていた。

 第二部に続く

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