日本人の食生活
                      鈴木 猛夫

第3回 食生活は畑と相談して決める
 

 食生活はどこの国でも
 その土地でその季節に入手可能な食材を基本にしてきました。
 昔は多くが農民でしたが、
 食生活は常に田や畑でとれる農作物を主な食材としていました。
 日本では米や雑穀、野菜、豆類が多くとれますから
 それらが基本的な食材になります。
 春には春野菜、秋には秋野菜などのように
 常にその季節にとれるものを生産量に合わせて食べてきました。
 余ったものは発酵食品、塩蔵、乾物などにして保存してきました。
 そういう中から日本の食文化は次第に育まれ受け継がれていきました。

 ところが今は食を取り巻く状況が大きく変わってきました。
 食材の供給地は畑からスーパーの棚に変わり、
 大事な前提が全く違ってきたのです。
 冬でもトマトやキュウリ、スイカやメロン、
 いや世界中の食材が手軽に手に入るのです。
 一年中何でも金さえ出せば手軽に入手できるようになり、
 季節感、産地、生産量さらには国籍でさえ無関係に
 献立が立てられる時代になりました。

 戦後、食生活は「豊か」になったと言われています。
 確かに種類も量も増えてきましたので
 その意味では「豊か」なのかもしれません。
 しかしこれが本当に豊かといえるのかどうか疑問です。
 こんなことは日本の歴史始まって以来初めてのことです。

 昔は献立は必ずその土地で取れるものから判断されてきましたが、
 今は栄養素から判断するようになりました。
 今、食生活や料理の本を見ると
 ほとんどが栄養素の話を持ち出して食生活のあり方を説明しています。
 ビタミンが多いから野菜を食べましょう、
 良質な蛋白質である牛乳、乳製品、卵、肉は毎日摂りましょう、
 カルシウムの多い小魚を食べましょう、
 などと食べる理由づけに常に栄養素の話を引き合いに出しています。
 するとおかしなことが起こります。

 本来冬には収穫できないトマトやキュウリだって
 ビタミンCがあるからと言って勧めています。
 日本では産出できない硬質小麦のパンやパスタ、
 たまにしか食べられなかった畜産物だって
 栄養素を根拠に常食することが求められようになりました。
 そんな栄養教育を戦後の50年の間一貫して受けてきましたので、
 そう考えないと科学的でない、
 さらには正しくないという思い込みが生まれてきました。
 栄養素を根拠にして食べることが
 栄養教育の中で一生懸命奨励されてきました。

 それでみんな健康になったのなら分かりますが
 逆の結果になりました。
 つまり「栄養素」教育をした為に
 食生活が畑の事情などお構いなしになったのです。
 日本で産出できないものは輸入するようになりました。

 畑でこの時期に何がとれるのか、とれるものを見ながら
 献立を決めたほうがはるかに望ましい食生活になります。
 そこには栄養素の話は一切出てきません。
 江戸時代の人がビタミンがどうの、蛋白質がどうのと判断して
 献立を考えたことはありません。
 栄養素の事を知らなかったこともありますが、
 そんなことを考える必要が無かったからです。
 考えなくても毎日食生活を営んできました。
 そして今の主婦のように献立作りで悩むこともありませんでした。
 食生活に季節感があり身土不二の原則に沿った食生活だったのです。

 一汁一菜というどの家でも共通な献立があって
 それに沿って食事をしていれば大きな不都合は無かったのです。
 少し余裕のある家庭は魚の干物や卵、納豆を加えて
 一汁二菜、三菜というような献立でした。
 一年中どの家もおおむねそのような献立でした。
 もしそれで不都合があれば長い間には病気になってしまいますし
 味覚的に合わないならとっくに止めています。

 戦後の食環境の急変で栄養素から食を判断するようになって
 みんな献立作りに悩むようにもなりました。
 本来食生活はそんなに難しい話ではありません。
 栄養教育のおかげであれもこれもバランス良く、などと考えるようになってから
 食生活は難しくなったのです。

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