日本人の食生活
                      鈴木 猛夫

第1回 戦後の栄養教育の落とし穴
 
 3ヶ月ほど前からパソコンでメールマガジンを発行しています。
 読者はみな食生活や栄養学に関心のある人ばかりですから
 やりがいがあります。
 タイトルは「素晴らしい日本の食文化」で週1回の発行です。
 (登録はこちらから )。
 その輪が広がり思わぬ読者からの反応もあって手ごたえを感じています。

先日、このメルマガの第6号を配信しました。
 その内容は
 「戦後の栄養教育は大きなところで間違えたので早急に見直すべき」
 「食生活の歴史は必ずその地域で入手可能な産物を
  生産量の範囲内で食べてきた。
  たくさんとれるものはたくさん、
  少ししかとれないものは少ししか食べられない。
  人類の食の歴史は必ず生産品目、生産量に応じた食べ方をしてきた」
 というような趣旨でした。

早速、「そのとおり」という賛成の声と共に
 反論のメールも届きました。
 このように私の主張に対して
 賛成、反対の意見がすぐ返って来るのが面白いところです。
 私が興味を持ったのは反論をされた方の意見でした。
 肩書きは分かりませんが文面から判断すると
 どうも栄養関係者ではないかと思われるのです。
 だとすると軽視できません。

その反論は
 「戦後の栄養教育が正しかったから
  日本人の平均寿命が延びたのではないか」
 「生産量は必要だから増えたのであって、
 生産量の順に食べるなどということは絶対にない」という趣旨でした。
 そこで早速返事のメールで
 「戦後の栄養改善運動の膨大な活動資金はアメリカから提供されて行なわれ、
  この話はタブーになっている。
  そのことを知らないでは食問題は語れない。
  是非アメリカの対日戦略の全容を知って欲しい」と書き送りました。

同時にその次のメルマガ誌上でこの問題を取り上げ読者に伝えました。
 一つは平均寿命の延びは栄養教育とは無関係なことであり、
 その理由について書きました(次号で紹介します)。
 それから生産量の問題についてはこう書きました。
 「戦後の栄養改善運動を主導した人が、
  日本人の健康増進の為に『ある食品』が必要だからと
  その摂取を熱心に勧めました。
  そのため今では日本人は毎日それを食べるようになりました。
  ご批判者のメールにあるように
  『生産量は必要だから増えた』のであれば、
  日本国内で生産量が増えるはずです。
  ところが一向に日本では生産量が増えず、
  やむなく輸入しています。
  つまり増えたのは生産量ではなく輸入量だったのです。
  しかもほぼ100%を輸入しています。
  何故なら日本の気候風土ではいくら生産しようと努力しても
  生産できないからです。
  日本では絶対に産出できない産物が
  栄養改善運動の中で最も熱心に勧められたのです。
  ここに戦後の栄養教育の大きな間違いが端的に示されています。
  さてその食品とはいったい何でしょうか」
 と読者への宿題にしました。

早速正解のメールが寄せられました。
 その中で地方の大学の農学部の学生さんが、
 「正解はパン(用小麦)です。
  日本で生産できないものを主食にするというのは
  どう考えてもおかしいですね」
 という適格な意見も添えてくれました。

原料を全て輸入して主食にするという
 戦後の栄養指導は正に大間違いなのです。
 食生活はどの国でも必ずその土地でとれる産物、
 生産量に応じた食べ方をしてきました。
 それが食の大原則です。
 昔の人はこの原則を「身土不二」と言い表しました。
 その土地の産物でその民族の体は出来ているということです。

日本でとれないものを食べてきたなどという食生活の歴史はありません。
 ですからパンは日本人の体質形成には全く無関係の食品です。
 それを主食と位置付けた
 戦後の栄養教育は食生活の基本を間違えたと言わざるを得ません。
 今そのおかしさにどれだけの人が気づいているでしょうか。
 今、ご批判者からの反応を楽しみにしているところです。

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