マクロビオティックと和解する方法 
 第1回:怪しげビデオの運命 これまた、怪しげな講演
 増田忠士 氏


 久司先生の『マクロビオティック入門』(かんき出版)は、
 入門書のバイブルとしてロングセラーになっています。
 アマゾンでも評判がいいですね。

 私は、この本の構成と文章を担当した増田忠士です。
 マクロビオティックは「面白いからやってみましょう」
 というのが私のスタンスです。
 どこが面白いのでしょう?

 普通の人がマクロビオティックを始めるには、少し抵抗があると思います。

 理屈をこねるつもりはまったくありませんので、私の話を少し聞いて下さい。
 面白くなければ、いつでも止めますので、
 このメルマガの発行元にメールして下さい。
 マクロビオティックも、いつでも止めていいのです。

 さて、今でもメジャーとはいえないマクロビオティックですが、
 10数年前は知る人ぞ知る的な存在でした。
 私もまったく知りませんでした。
 きっかけは、久司先生が日本で最初に全体的な話をされたセミナーを
 記録したビデオを観て、
 「なんていかがわしい内容なんだろう」と思ったことです。

 肉・魚・卵・牛乳・乳製品・砂糖・果物を食べないことで
 元気になれるという非常識。

 人類と宇宙に関するスケールの大き過ぎる話。

 霊的エネルギーや陰陽法則の存在を証明するらしい怪しげな実験。

 まゆつば?
 驚きよりもあきれた、というのが本音。

 あまりにも、私の常識に挑戦する内容だったので、逆に猛烈な興味がわきました。

 ちょっとやってみようかな。興味本位。
 これが私のマクロビオティックを始めた動機です。

 病気を治す、健康になりたい、痩せる、きれいになりたい。
 具体的な動機でマクロビオティックを始めた方が多い中で、
 面白がって始めた私は少し不謹慎かも。

 でも、興味のおもむくままマクロビオティック業界を眺めることができて、
 とても面白い経験をしました。


 ○怪しげビデオの運命

 もちろん人生は楽しいほうがいい。
 しかし、その方向には落とし穴もある。
 気をつけなければ。

 1990年暮れ、3回目の転職を決め、11年間勤めたG社を辞めた。
 退職手続きの際、総務担当者があるビデオセットをくれた。
 2時間ビデオが5本組み。定価は2万円程度だったと記憶する。
 少ない退職金の補填としてくれたのだろうか。

 「ガンもエイズも治ります」と書いてあった。
 ビデオセットのタイトルは「マクロバイオティックス・久司道夫」。

 マクロ何とかも久司某も、新出単語。
 大書してあった「ガンもエイズも治ります」は大いに怪しい。

 ガンにもエイズにも縁がなかった私は、
 持ち帰ったパッケージを開けることなく、
 本棚の片隅にしまい、その存在を忘れた。

 1989年9月23日(土)、箱根に現れた久司道夫氏はマクロビオティックの
 全体像を静かに説いていた。
 その頃の日本はバブルの絶頂期。
 玄米菜食を紹介するにはタイミングが悪すぎはしなかったか。

 自然食品の製造・販売に携わる人々を対象にして、
 そのセミナーは成立したようだが、
 このとき久司先生を招いた一人がG社の社長だったようだ。
 本業とはまるで関係がなかった。

 歌手・加藤登紀子の夫として紹介されることが多い藤本敏夫氏(故人)
 が司会を担当した特別集中セミナーは2日間にわたった。

 その後、セミナーの内容は約10時間に編集され、
 「マクロバイオティックス」と名付けられたビデオ・コンテンツとして販売され、
 その中の1セットが筆者の本棚に眠ることになった。

 この記念すべきというか、少し早過ぎた2日間セミナーを皮切りに、
 久司先生は日本での講演をされるようになった。

 1997年8月に久司先生の『マクロビオティック入門』(かんき出版)が
 出版された。
 この本は、10時間ビデオの内容に基づいて、
 私が構成と文章を担当したのだが、
 セミナーと出版との間に横たわる8年間に何が起きたのだろうか。

 まず、ビデオ「マクロバイオティックス」を私が見る必要がある。
 しかし、「ガンもエイズも治ります」ではなぁ……。

 私が自分の本棚を見るときに、視野の片隅にこのビデオは存在していたが、
 手に取ることはなかった。
 なぜ、数年後にその封が破られたのだろうか。
 まずは、その話から始めたい。


 ○これまた、怪しげな講演

 G社を辞め、1991年5月にH社に就職した。
 丁度40歳での転職だったが、あまり不安はなかった。そんな時代だった。

 T社で私が最初に配属されたオフィスは、
 小田急線・本厚木駅からバスで通勤する必要がある陸の孤島。
 昼は仕出し弁当しかなく、揚げ物の多いおかずを食べて急激に太ってしまった。

 そのことをきっかけに、ウォーキングでもしようかと思い立ち、
 当時住んでいたマンション近くにある大きな公園へ行った。
 公園内のジョギングコースを何周もするようになった。
 体調や気分が良いと歩くの半分、小走り半分といったペース。

 やり始めると凝るのが人間の性。

 やがて、H社でのオフィスがJR横須賀線の新川崎駅近くに変わると
 周囲にはお店も多く、昼食のバリエーションは増え、
 毎日、何を食べるかが楽しみだった。

 体重を抑えるために、休日の運動も続けていた。

 やがて、1993年10月23日(土)。

 資生堂主催の「ウェルネスフォーラム'93」に参加することにした。
 この小さな健康セミナーのテーマである「ウォーキングの方法」
 について興味があったからだ。

 朝、公園でのウォーキングを済ませた後、銀座にある資生堂別館へと急いだ。

 会場へ到着すると、シューズの選び方などを中心にした、
 ミズノの講師の話はほぼ終わっていた。
 小田急線・桜ヶ丘駅から東京・銀座までの移動時間を読み違えていたようだ。

 折角、遠路来たのに、このまま帰るのはもったいない。
 このセミナーは2本立て。靴の話の次に、呼吸法の話があるらしい。
 セミナー参加の申し込みをする際には、呼吸法の話など眼中になかった。

 上下ジャージ姿の西野皓三氏が登場。
 早目に話が終わると、門弟数人を相手に空気投げの実演。
 何という怪しげなこと!
 どう考えても、弟子が先生に近づいては
 自分で勝手に転がっているとしか思えない。

 ところが、そこで私が注目したのは、黒々とした西野氏の頭髪。
 西野氏の話を聞いていると、私より25歳は年上のようだった。

 当時、急激に抜け毛が多くなり始めていた私は、
 この西野流呼吸法はハゲ対策にいいかも、と思ってしまったのだ。

 会場で売っていた呼吸法のやり方を書いた薄い本を1冊買って帰った。

 それからはウォーキングの前に、本を片手に呼吸法を公園でやった。

 しかし、図解と手順だけでは要領を得ない。
 仕方なく1993年の12月18日(土)から、
 渋谷にある西野流呼吸法の道場に通うことにしたのだ。


 ここでの不思議体験が久司ビデオを観るきっかけへとつながるのだが、
 それは次回「呼吸法はハゲに効くか」のお楽しみ。


 
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